新型コロナウィルス感染症の影響により、三度目の緊急事態宣言が発出されました。期間は2021年4月25日から5月11日までの予定です。
これを受けて4月24日には、東京にある鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場は、落語協会、落語芸術協会と協議のうえ、観客を入れての公演を続けると発表しました。
これは当初の要請が「無観客開催(社会生活の維持に必要なものを除く)」とあったことを踏まえたものです。寄席の立場としては、寄席が大衆娯楽と伝統芸能の場であることに加えて、芸人の修業の場でもあることから「社会生活に必要なもの」と判断したということです。
その後、都から正式に休業要請がなされたことを受けて、2021年5月1日から全席で休業となる旨の報道がありました。
無観客開催という不可解な要請に対して色々と思いもあったことでしょう。またこの報道を聞いて様々な解釈はあるかと思いますが、「社会生活に必要なもの」とは何か、を問いかけた動きとして私自身は受け止めました。
2020年3月11日のドイツのモニカ・グリュッタース文化相から、「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」という声明があったというのも思い出されます。
文化として継承されている伝統芸能は、一度無くなれば再び同じ形で興すことは難しいですし、また、同程度の技術にまで至るのには何十年もかかるものです。もし、空白期間が十数年単位で長期化した場合、大変な影響が予想されます。
いま舞台表現がこの数年の間どのような形を取るべきかという直近の問題と同時に、ライブ・パフォーマンスとは人間にとってどんな意味があるのかという根源的な問題についても考える時に来たと思っています。
ヒトという種のことを考えれば生理学的・生物学的な切り口だけで議論は事足りるのかもしれませんが、人間として考えれば社会・文化的な側面も考えなければなりません。そうした多層的な意味のあいだに生きる人間の、いわば生命現象としての芸術という観点を持つ必要があるだろうと思っています。